|
ケネス・リー・"ケニー"・ロバーツ・ジュニア(Kenneth Lee (Kenny) Roberts Junior, 1973年7月25日 - )は、アメリカ出身のオートバイ・ロードレースライダー。2000年ロードレース世界選手権GP500チャンピオン。1978年から3年連続で同クラスチャンピオンになったケニー・ロバーツの長男。弟のカーティス・ロバーツも元GPライダー。 250ccからチーム・ロバーツの時代は特別目立つ成績は挙げられなかったが、1999年スズキへ移籍するとマレーシアGP、日本GPと開幕2連勝。RGV-γと自分のライディングの相性の良さもあいまって4勝を挙げ、年間ランキングも2位と躍進しトップライダーの仲間入りをする。翌2000年は4勝、表彰台9回と安定した走りを見せ、リタイアの多いロッシ、ビアッジ、マッコイらを押さえ年間王者に輝く。親子2代の王者はGP史上初。 その後はロッシの台頭、500ccから4スト990ccへのレギュレーション変更もあって成績も徐々に低迷。2006年、チーム・ロバーツに復帰。ホンダエンジンを載せたオリジナルマシンKR211Vでのエントリーとなるがたびたび上位を賑わせ、ポルトガルGPでは一時トップを走行するなど久しぶりに輝きを見せる。990ccから800ccにレギュレーション変更となった翌2007年は800ccマシンのセッティングに苦しみまたもや低迷。シーズン途中で弟のカーティスにシートを明け渡し、そのまま引退となった。 エントリーネームはGPデビューから1998年までは「ケニー・ロバーツJr.」。スズキ移籍を機に「Jr.」を外して「ケニー・ロバーツ」でエントリーしていたが、2006年に父親が率いる「チームKR」に移籍したのを機に再び「ケニー・ロバーツJr.」にエントリーネームを戻した。 礼儀正しい性格。表彰台の後のインタビューは「気をつけ」の姿勢で受ける。2006年のドイツGP決勝で自分の転倒に玉田誠を巻き込んでしまったが、あわてて駆け寄り、痛みに耐える玉田に「タマダサーン、モンダイナイデスカ?」とカタコトの日本語で詫びを入れ続ける姿が全世界に放送された。〔MotoGP速報・2006年ドイツGPレースリポート 〕 ==戦歴== *1992年 - AMA 250GP ランキング4位 *1993年 - ロードレース世界選手権GP250参戦 ランキング27位(ヤマハ/YZR250) *鈴鹿8時間耐久ロードレース・8位(高橋勝義/ヤマハ) *1994年 - ロードレース世界選手権GP250 ランキング18位(ヤマハ/YZR250) *1995年 - ロードレース世界選手権GP250 ランキング8位(ヤマハ/YZR250) *1996年 - ロードレース世界選手権GP500 ランキング13位(ヤマハ・チームロバーツ/YZR500) *1997年 - ロードレース世界選手権GP500 ランキング16位(モデナス・チームロバーツ/KR3) *1998年 - ロードレース世界選手権GP500 ランキング13位(モデナス・チームロバーツ/KR3) *1999年 - ロードレース世界選手権GP500 ランキング2位(テレフォニカ・モビスター・スズキ/RGV-γ) *2000年 - ロードレース世界選手権GP500 年間王者(テレフォニカ・モビスター・スズキ/RGV-γ) *2001年 - ロードレース世界選手権GP500 ランキング11位(テレフォニカ・モビスター・スズキ/RGV-γ) *2002年 - ロードレース世界選手権MotoGP ランキング9位(テレフォニカ・モビスター・スズキ/GSV-R) *2003年 - ロードレース世界選手権MotoGP ランキング19位(スズキグランプリチーム/GSV-R) *2004年 - ロードレース世界選手権MotoGP ランキング18位(スズキグランプリチーム/GSV-R) *2005年 - ロードレース世界選手権MotoGP ランキング13位(スズキグランプリチーム/GSV-R) *2006年 - ロードレース世界選手権MotoGP ランキング6位(チーム・ロバーツ/KR211V) *2007年 - ロードレース世界選手権MotoGP ランキング24位(チーム・ロバーツ/KR212V) 通算成績 優勝8回・2位7回・3位7回(表彰台22回)・ポールポジション10回・年間王者1回 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ケニー・ロバーツ・ジュニア」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Kenny Roberts, Jr. 」があります。 スポンサード リンク
|